6/28 日記

一昨日、9ヶ月ぶりに実家に帰ってきた。

東京での私の一人暮らし生活と、宇都宮の実家で続いている生活はあまりにも違う。

「家で過ごす時間が長いほど家を心地よい場所にする」ほうが理にかなっていて、今の私は両親よりも圧倒的に長い時間を家の中で過ごしているから、自分の家が圧倒的に心地よい場所であるほうが良いはず、なのに実家に帰ったら「家を心地よい場所にする」努力量が凄まじくてびっくりする。リアル丁寧な暮らしじゃん、とか思ってしまう。

(こういうことを考える時、恵まれてるよなあ、と思うけど、自分の状況を何かと比較して「恵まれてる」と決めつけることも無知のまま何かをカテゴリごと貶めることと同義のような気もしてて何も言えない、みたいなフェーズ 直接的に「恵まれてるよなあ、と思う」と書くことで保険をかけていることも否定できない、思考も文章の技術も細分化して次の段階に行きたい)

で、あれこれ生活の悩みを話していると、見事にダメ出ししかされなくて、改善しなきゃ…となる。

「最近頑張って8時台に起きるようにしてる」と言ったら「8時じゃ遅いよ、遅くて7時半だよ」と言われてびっくりした。

そんな大学生いる??と思うけど、元気がないのだから何も言えない。

「だらしない肯定」はリアルタイムの精神衛生には良いかもしれないし、実際無理は良くないんだけど、私は「その時その時の自分が無理せずにできることをやるしかない」方面(セロトニンがどうとか考えない)に解釈しすぎていたから良くなかった。諦めすぎてた。

一人暮らしを始めるあたりで見た大森靖子さんのLINEライブで「遮光カーテンは絶対ダメ!」と言っていたのを聴いてかなり感動したのに。

で、それってやっぱり「中長期的な自分への期待と計画」の話だなと思う。苦手。目に見えない目標のために先回り的に頑張ったら結果全部良くなりました、みたいなことができない。

明日のことを考えて眠ったのもいつが最後だろう。