外側

自分が自分以外の全ての存在から客観的に観察されるものだということの実感が本当に全く湧かず、というよりも嫌すぎて脳に思考を停止させられているみたいな感覚があり、ずっとこの分からなさと付き合っていかなければならないのかという、除去不可能な諦めがある。

かといって自分の身体が自分によって完全に操作可能という実感もなく、シャワーを浴びている時によく、魂だけ、みたいな状態が実感される。離人感という言葉に近い感覚なのだと最近知ったが、それだったらもっと自分を客観的に見る存在のことが理解できるように思う。

そして同時に、全ての他人が主体性を持って駆動していることに対する実感や信頼も薄く、日記や、外に見えない器官の動きや、1人でいることや、言いたいことが言えないでいることなどに、私が知りようがないことばかりに、途方もなく希望を委ねて、力任せに透視できるようになることを夢見ている。夢はあまり見ない。