9/9 書きたい感覚は沢山あるのに

書きたい感覚は沢山あるのに、言葉に対する身体の求心力が足りなくて苦しくなる。

なんとか細かい目からこしだして、抽出したものを、実は生身の指の形をしているピンセットで再配置する。

私は、私の感覚(とりわけ苦しみ)以外に断言できることが何もないから、そのようなことしか書けないのだという気づきを、自分の中でどう処理するのかということ。

「私の感覚」とはなんなのか、そんなのあるのか。「中動態」の本を読んだりしている。

というか、結局のところ「言葉を再配置する=他者を動員する」をもってそれ(=自分の切実な感覚の再現)をしているのなら、私のやり方は実は一番暴力的なのではないかということ。

(他者を他者として再配置した方がまだ非侵襲的なのではないかということ。でも詩にしていたりする時点でどこかの段階で自己同一しているわけではあって……。)