幽霊感覚と詩用自意識

いつまで平静を装わないといけないんだろう。

「ちゃんとやると全部おわってしまう」……?

 

人が、「就職活動を乗り越えるには、その間、幽霊になって自分を俯瞰すること」と言っていた。( 2021/9/11時点、別にまだ就職活動に具体的に苦しんでいるわけではない)

そんなに変わったことは言ってないんだけど、なんか忘れられなかった。幽霊。

 

溶けない名前「ぼくらの倒錯ごっこ

https://open.spotify.com/track/1hIwbPGiXoDXg3EO6aNN29?si=mFBdsknMSuCvD5uE-mfIeg&dl_branch=1

"夢日記の徹底放棄"、"ぼくらの倒錯ごっこ"

 

順応する自分、の方、が「倒錯ごっこ」かもしれないのに。

 

例えば幽霊になったとして、幽霊は詩を書けるんでしょうか。

 

私の自意識は、ほぼ、イコール詩用自意識でもある。

目の前に円滑なコミュニケーションを強制する存在がいなければ、基本的に駆動しているもの。

自分で言葉を積み上げることしか許さない、一番濃い重なりの部分が詩になる。何度も何度も重なったものだけ、私の身体にとっての夜に、胃液のように昇ってくる。

その言葉なら、嘘じゃないと言うことを許してもいいと思う。

 

幽霊の自分は、自分を後頭部、斜め上から見ている。

見られている私は、ただただ歩いたり、スマホを触ったり、眠れなくて時々動いたりしているだけの人になり、私はそれを、見ているだけの人になる。

 

その話をしたら、「自分も完全にその視点に成り代わることができるけど、足元が見えなくなるから危ないね」と言った人がいた。

 

 

どうせ数時間後には、「ちゃんとやらなきゃいけない」と本気で思い始める自分がいるんだ。

 

私が伝えたいことを伝えたい人は、もう私の知っているその人ではない可能性があって、でも時々、伝える余白を私に与えるように、戻ってきてくれたりするんだ。

その人は、もがいて、前に進んでるのに、戻ってきてくれたりする、とか思ってごめんなさい。

もがいて、前に進んでるかどうかだって、本当はわからないのに、ごめんなさい。

 

誰が救われようが殺されようが、自分が救われなくなったらやめるんです。

救いってなに。

詩は、潜水か、それともいっときの息継ぎか。

 

私には多分潜水だから。

潜って潜って潜って潜って、簡単には浮かび上がらないくらい潜ったら、意識が飛んで、幽霊になれるかな。

そしたらずっとそういうふうに生きていきたいな。

潜って潜って潜って詩をかいて、

意識が飛んで、幽霊になって、食べて、お金を稼いで、

潜って潜って潜って潜って潜って潜って。

死ぬかな。

身体ふやふやになるかな。

心配されるかな。

あの、憧れの、「あのときの〇〇さん、死ぬんじゃないかと思いましたよ〜 笑」になるかな。

憧れとかいって、本当にごめんなさい。